3大ギタリスト

私がギターの虜になるきっかけとなったギタリストやバンドを紹介します

エレキギターを買う

前回まで

 

バンド名決定 - 3大ギタリスト

 

続き

 

しっくりこないバンド名が決まり、歌詞もできた。

この曲を仕上げていく中で、O田にとあるバンドを紹介された。

 

 

FLOWというバンドだった。

どうやらベストアルバムを発売したらしく、自慢げに持ってきた。

 

(調べると2006年12月発売なので、当時ギター歴7ヶ月位の時である。)

 

DVDが付いており、再生してみた。

なにかで聞いたことある曲がちらほらあり、素直にカッコイイと思った。

当時これぞロックバンドだと、衝撃を受けた記憶がある。

 

中でも、ギターの歪んだ音とギターソロに圧倒された。

この時、こんなバンドがやりたいと思って、O田に伝えた。

 

少なくとも、ボーカル、ギター、ベース、ドラムが必要だが、ギター(私)しかいなかった。

O田は、キーボードが弾けるが、私のやりたいバンド構想に必要なかった。

 

O田は、そんな私の気持ちを見透かすように、ドラムをやると言った。

予想外の言葉に驚いたが、本気なのかドラムを買うと言った。

私も同時に、エレキギターが欲しいと思った。

 

数日後、ヤマハストラトキャスター型のエレキギター(3万円位)と中古の無名メーカーのアンプを買った。

 

雑誌を見て、BOSSのオーバードライブも買い、念願の歪んだ音を出せるようになった。

 

続く

 

 

バンド名決定

前回まで

 

弾き語りテスト - 3大ギタリスト

 

続き

 

弾き語りのテストも終わり、バンド練習に没頭する日々が続いた。

 

歌詞は無かったが、AメロBメロサビと流れができ、曲として完成しつつあった。

 

私は、ギターでコードをストローク弾きしていたが、O田はキーボードを弾くことはなかった。

当時、ダニエル パウターのbad dayが流行っており、そんな感じで弾いてくれると思っていたが、どうやら弾けないようだった。

 

ある日、O田が「歌詞とバンド名を考えてきた」と言った。

 

二つともO田の担当になっており、任せっきりになっていた。

 

バンド名を聞いてみると。

KIZUNA   DRAGON  とコード進行の紙の上の方に書いてあった。

キズナ  ドラゴン  だった。

言葉を失ったが、任せっきりだったし、一旦了承し、歌詞を見てみた。

 

桜の花が散った時、二人の仲はどうなるの?」から始まるそれっぽい歌詞が永遠続いていた。

 

言葉を失ったが、任せっきりだったし、一旦了承し、歌わせてみた。

自分が歌下手な分、歌唱力についてどうこう言えないが、歌詞が全て持っていっていた。

 

この時、私の中でO田とは続かないと思った。

 

続く

 

弾き語りテスト

前回まで

https://eric-designer.hatenablog.jp/entry/バンドを組む

続き

 

O田とバンドを組み、週2、3位のペースで練習していた。

コピーではなく、曲を作ろうと話をしていた。

作り方を知らないので、新たな教本を買い、調べながらコードを並べていった。

歌詞とバンド名は、O田の担当になり、メロディーは後からつけるスタイルだった。

 

音楽仲間ができ、楽しい音楽ライフを送っていたが、とうとう1学期最後の音楽の授業がやってきた。

弾き語りするにあたり、ギターは自信があったが、歌はもともと上手くないし、練習もしていない。

そもそも弾き語りテストの為にギターを練習している訳でもなく、楽しいとか、上手くなりたい、という感情で続けていた。

 

 

テスト直前に先生が

「このテストはギターのテストです。歌は、おまけで10点くらいしかないから」と言った。

 

つまり、ギター90点と歌10点の100点満点ということらしい。

これを聞き、大体の人が歌わず、ギターだけを弾いていた。

迷わず、私もギターだけにすることにした。

点数なんてどうでもよかった。

 

テストが始まった。

先生の前に行き、ギターを弾いた。

緊張はなかったし、普通にこなせた。

終わると「上手だから95点」と言われた。

この時の記憶は、今でも鮮明に覚えている。

すごく嬉しかった。

 

続く

 

 

 

 

 

 

バンドを組む

前回まで

https://eric-designer.hatenablog.jp/entry/2019/03/04/183437

 

続き

ギターを買い、教本を頼りに練習する日々が続いた。

コードを一つ一つ覚え、ピックによるストロークも練習した。

Fコードにつまずきながら、毎日同じことの繰り返しをした。

 

音楽の授業では真っ先にアコギを取り、自分のギターと近いやつで練習した。

 

ある日中学時代の友人O田と遊ぶ機会があった。

自宅に呼びゲームをすることになった。

部屋に入りギターを見ると、興味深そうに見ていた。

O田が「ギターやるんだね」と言い、彼はピアノを習っていたことを話し始めた。

 

音楽の話で盛り上がり、O田の好きなスピッツミスチルの話を聞かされた。

 

明らかにO田の方が音楽に詳しいと感じた。

 

身近に音楽の話ができる人もいないし、一人で黙々と練習する日々が続いていた為、仲間が欲しいと思うようになっていた。

 

O田にバンド組もうと誘うと、あっさりOKしてくれた。

こうして初めてバンドを組むことになった。

 

続く

 

 

 

 

 

ギターを買う

前回まで

https://eric-designer.hatenablog.jp/entry/2019/03/02/161800

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教室への帰り、この時代に長渕っすか? と疑問を持ちながら、先生の趣味なんだろうと自分に言い聞かせた。

 

授業が終わっても、ギターの感触が忘れられなかった。

ぎこちないながらも、音がなり、ギターから腹に伝わる振動。

弦が指に食い込む痛み。

リコーダーや合唱ではなかった、やってみたいという感情が生まれた。

 

家に帰ると、ギターを買いたいから楽器屋に連れて行ってくれと、親に相談した。

お年玉や貯金で買うと言ったら、了解してくれた。

 

とは言っても、どんなギターを買うべきか、エレキ?アコギ?アンプ?と分からないことばかりだった為、数日ネットで勉強した。

 

結局学校での弾き語りを考えヤマハの黒色のアコギ(確かFG)を2万5千円位で買った。

今考えると正解だったと思う。

 

内容はあまり覚えていないが、一旦弾き語りの教本を買った。

その中にレミオロメンの「粉雪」があり、当時流行っていた為、それを練習課題にすることにした。

 

歌詞とコードとリズム(ストローク)が載ったシンプルなものだったが、当時の私には手強い相手だった。

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

音楽の授業

前回まで

https://eric-designer.hatenablog.jp/entry/2019/03/02/100341

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席に着くと、先生の自己紹介が始まった。

 

数分の出来事だったが直感で感じる。

クセが強い。

中学の記憶が蘇り、先が思いやられた。

 

そして授業に入ると、まずギターの説明をされた。

ガットギターとアコースティックギターの2種類あると言われ、私が手にしていたのは、ガットギターだった。

 

その後コードの説明をされた。

CやらGやらAmやら謎だったが、見たまんま弦を押さえ   ”ジャラン”   と鳴らしてみた。

先生のようには鳴らなかったが、雰囲気鳴ったので嬉しかった。

 

授業の最後に弾き語り用の楽譜が渡された。

見てみると、長渕剛  「乾杯」  と書いてあり、1学期の最後に弾き語りのテストをすると言われて授業が終わった。

 

続く

 

ギターとの出会い

ギターとの出会いは高校1年の音楽の授業である。

中学時代もともと音楽に興味がなく、授業ともなれば苦手分野だった。

リコーダーや合唱、クセの強い先生、どれも嫌いだった。

 

 

そのころ聞いたことがあったのは、記憶も定かではないが、オレンジレンジやゆずなどCMで流れているような流行りの曲だった。

中学では部活のサッカーに専念し、充実した3年を過ごした。

中学3年になり、進学先を選ばなくては行けなかったが、特に行きたい高校はなかった。

 

愛知という土地柄もあり、就職に有利な工業高校を選ぶことにしたのだが、この選択が私をギターとの出会いへ導くことになる。

 

高校へ進学すると、部活は強制で入らなくてはならなかった。

もともと足の怪我をかばいながらサッカーしていた為、高校のレベルではついていけないと思ったのと、同じ中学で仲の良かったN村の誘いで、囲碁部に入った。

囲碁部は通称帰宅部と呼ばれ、その界隈で重宝されていた。

当然私も帰宅組なのだが、趣味もなく、ゲームしていた記憶しかない。

 

1年の最初の音楽の授業、ついにギターと出会うこととなる。

音楽室に着くと、クラス40人全員分のギターが壁際に並んでいた。

先生が「ギター持って席に着いて」と言った。

近くにあったやつを手にし、席に着いた。

 

続く